
タイトルでわかる方は
マニアックな吉田拓郎ファン。
彼の提供した作品を
2曲くっつけてみました。
拓郎は年内で52年の歌手活動を
終了します。残念と言うより寂しい。
以前のブログ“今日までそして明日から、、、
元気がほしい時は拓郎の曲で助けられました“
で拓郎の歌からいつも元気と勇気を貰った
と紹介していました。
現役引退の発表はフォークの神様が姿
を隠してしまう。
そんな気持ちになりました。
拓郎の歌には何か人を動かす
エネルギーに加え、内側からも
じわじわと励ましてくれる。
そんな不思議なパワーがあるのです。
アルバムもシングルも多く代表曲は
多すぎるので選べません。
あなたも特別な思い入れがある
アーティストはいませんか?
そんな拓郎ですが実は他の
アーティストや歌手へ提供曲が多い。
♪地下鉄に乗って♫はフォークバンド
の猫が1972年にヒットさせた曲。
作詞は岡本おさみさんです。
私がこの曲を初めて聞いたのは確か
高1の頃だった。軽快でテンポの良い
イントロに都会のカップルの何気ない
会話の曲だと思っていたら
後の歌詞で田舎者の私は驚いた。
地下鉄に乗って 作詞 岡本おさみ
作曲 吉田拓郎
♫ ねえ君 何を話しているの
だからさ 聞きとれないよ ♪
♫ もっと大きな声で
もっと大きな声で ♪
男女の電車での会話なのだが地下鉄に
乗ったこともない田舎少年には
なんとなく都会の香りを感じる。
この後、男女のシチュエーション
を何気なく解説し歌っている。
♪ でなけりゃ次の駅に停まったら
走り出すまでの あのわずかな
静けさに話そうか ♫
♫ 今 赤坂見附をすぎたばかり
新宿までは まだまだだね ♫
コーラスには ♫ 丸ノ内線で~♪と
入るので地下鉄丸ノ内線車内の会話だ。
2番の歌詞はさておき私が当時
理解できなかったのが3番の歌詞。
♫ ねえ君 もう降りてしまおう
だからさ 次の駅でさ ♫
♪ ここはどこの駅かな
ここはどこの駅かな
いいさ 次の駅にとまったら
何かを始めるように そこから
歩いてみよう 次で降りるよ ♫
♪ 君も もちろん降りるんだろうね
でも君は そのまま行ってもいいよ ♫
3番の歌詞からは次の駅で降りる
ことがわかる。が、女性には一緒に
降りるだろうと言いながら、
そのまま行ってもいいよ。
とは?
当時の私は3番の歌詞に混乱しながら
走る地下鉄の車内の会話と出来事を
妄想した。
曲はテンポ良く進行しリバーブを
利かせたエレキギターは気持ち良い。
声質も素朴でとても曲調に合った
良いアレンジだ。
ボーカルのふわっとした感じには
不思議な魅力があって良く歌って
いましたね。
駐車場代を安くできる。
あなたの大切なクルマの
保管に価値ある選択⤵⤵⤵
猫は1971年から75年まで第一期
メンバーで活動していた。
拓郎のバックバンドであったこと
から拓郎プロデュースで72年に
「雪」と「地下鉄に乗って」を
ヒットさせた。
その後、「昼下がりの街」「各駅停車」
「僕のエピローグ」などをヒットさせ
8枚のシングルと4枚のアルバムを最後
に第一期は1975年で解散した。
拓郎の影響を受けながらオリジナル曲
もヒットさせた猫は確かに昭和で
しっかり足跡を残した
フォークバンドでした。
鍋が美味しい季節になりました。
今日はどの鍋にしようか?
ビールから日本酒しよう。
↴↴
始めて
猫を聞いたのは拓郎作詞・作曲の
「雪」だった。♪ 雪でした あなたのあとを ♫
で始まるマイナー曲ですがアコギの
構成がとても心に響くので歌詞が
ほんのりとハマる曲です。
73年シングルの「各駅停車」も歌い
上げる男ぽい曲調。染みてきます。
ボーカルが変わってだみ声が渋い曲。
機会があれば是非とも聞いてほしい3曲
です。スポティファイならば3曲とも
聞けます。
ちなみになんで猫という変わった
バンド名どこからきたか?
それは少し前から流行って来たGS
(ガソリンスタンドではない)
グループサウンズの影響らしい。
当時のバンド名は
タイガース、スパイダース、など
動物・生き物系が多く、中々決まら
ないので猫でも犬でも良いからと
猫になったそうだ。
バンド結成50年だがボーカルの
田口清さんベースの石山恵三さん
そして後に「風」に加入する
大久保一久さんは他界されています。
毎日のシャンプー大切なんだよ!
間に合うかもしれない。今なら☟☟
たどりついたらいつも雨降り
作詞、作曲 吉田拓郎
この曲も拓郎が提供した曲で
ザ・モップスの12枚目シングルで
最大のヒット曲でもある。
モップスを知らない方でも
鈴木ヒロミツさんはご存じでは
ないでしょうか?俳優、タレント
としてTVに出演し活躍されて
いましたね。
そもそもザ・モップスは1966~74年
までのロックバンドです。いわゆる
GS全盛期からGSブームが去った後
まで活動してました。
GSブームの頃は色んなバンドが
あった。歌謡曲に混ざりおそろいの
ユニフォーム。
キラキラしたフリルを着けて
アイドル調の歌詞で歌ってましたね。
そんな中でモップスは自由で自然体。
良く言えば個性的、むしろ貧乏
くさく見えた。
GSが派手すぎたのだろう。
バンド名もヘアースタイルがモップ
みたいだからモップスと命名されて
います。
私が ♪ たどりついたらいつも雨降り ♫
にひかれるのは歌詞の中身と
鈴木ヒロミツの野太い声に自由と
解放感を覚えたからです。
たどり着いたらいつも雨降り
作詞、作曲 吉田拓郎
♪ 疲れ果てている事は
誰にも隠せはしないだろう ♫
♪ ところが俺らは何の為に
こんなに疲れてしまったのか ♫
♪ 今日という日が
そんなにも大きな一日とは思わないが
それでもやっぱり考えてしまう
あゝ このけだるさは何だ ♫
こんな歌詞を鈴木ヒロミツが野太い声を
張り上げながらロック調で歌う。
無性に腹が立つとき、失敗したとき
この曲を歌うことでスカッとしました。
この曲は鈴木ヒロミツが飲み友達の
拓郎にアルバムに入れる曲が
足りないから作ってくれと
依頼した。
それで拓郎がアマチュア時代に作って
いた曲をモップスらしくアレンジし
提供した。
この歌詞は当時の世相を反映
している。高度経済成長が下火となって
モーレツからビューティフルに
変わる時代背景が見える。
拓郎の曲はそんな時代に個人的な
悩みや怒りなどをストレートに
反映する詩や曲を作り歌った。
理由ないいら立ち、訳のない怒りも
拓郎が歌う曲には自然に共有された。
そんな時代の雰囲気にハマった曲だろう。
拓郎は50数年フォーク歌手であり
続けたからあなたも私も拓郎節を
聞かないと安心できない。
そんな風に思っていた。
ところが吉田拓郎、実はソングライターの顔も
持っている。
今回紹介した猫、ザ・モップスは70年代初期
の楽曲になりますが
クルマを売るならココだ。
他で値段がつかなくても相談できる。↴↴↴↴
拓郎の提供曲で
最大のヒット曲、また超意外な組み合わせが
あの森進一の「襟裳岬」であろう。
そして私もあなたもたぶん大好きな
「我がよき友よ」はかまやつひろし
キャンディーズ、梓みちよ、原田真二
石野真子、太田裕美、川村ゆうこ、
近藤真彦トランザム、中村雅俊、
森山良子、山田パンダ
由紀さおり、、、その他提供曲は
多数あります。
これらの歌手、俳優、アーティスト
に楽曲を提供しヒットさせ代表曲と
なっています。
フォークシンガーとして1970年から
半世紀、吉田拓郎は自身の曲で多くの
人達を楽しませて時に勇気、元気、
感動を与えてくれました。
拓郎が咲かせたフォーク、
ニューミュージックの花は
これからも歌い継がれ
様々な音源を通して
聞かれるでしょう。
今回の現役引退はファンには
とても寂しく辛いことです。
が、他の歌手やアーティスト
にこれだけ多くの曲を提供
している拓郎にこれからも
拓郎節を披露して欲しい。
そんな風に願ってやみません。
時代を作った男なのだ。吉田拓郎は!!
次にこの日本酒を飲めるのは
いつだろう。
楽しみは後回しにしない。
☟☟☟
ここまでお読みくださいまして
誠にありごとうございます。
音楽好きの管理人「車楽」って?
もっと早く出会いたかった。
この椅子↘↘↘↘↘
怖いのは
まさか、、、という坂らしい
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